ロシアワールドカップでサッカー日本代表を率いた西野監督の解任が発表されましたね。
ファンの間では、西野監督が育てたチームが4年後のワールドカップでどのような結果を出すのかを楽しみにしている声も多いようですが、決定事項のようです。
そして、次期日本代表監督として有力視されているのがクリンスマン氏。
「クリンスマンってだれ?」
という方がネット上でも多くいたので、今回は新監督になるであろうクリンスマン氏のプロフィールや過去の実績をご紹介します。
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目次
日本代表新監督候補!クリンスマン氏のプロフィールまとめ
《名前》
ユルゲン・クリンスマン
《国籍》
ドイツ
アメリカ
《生年月日》
1964年7月30日
《年齢》
53歳
《現役時代のポジション》
FW
《身長》
182cm
《体重》
73kg
クリンスマン氏の現役時代の実績
日本代表監督就任が濃厚と言われているクリンスマン氏の現役時代の実績をまとめてみました。
クラブチームでの実績
1984〜1989:シュトゥットガルト(ドイツ)156試合出場79得点
1989〜1992:インテル(イタリア)123試合出場40得点
1992〜1994:モナコ(モナコ)65試合出場29得点
1994〜1995:トッテナム(イングランド)41試合出場21得点
1995〜1997:バイエルン・ミュンヘン(ドイツ)65試合出場31得点
1997〜1998:サンプドリア(イタリア)8試合出場2得点
1997〜1998:トッテナム/レンタル移籍(イングランド)15試合出場9得点
2003:オレンジ・カウンティ(アメリカ)8試合出場5得点
1978年に西ドイツのクラブチーム・SVシュトゥットガルター・キッカーズに入団してキャリアをスタートしたクリンスマン。
1984年にVfBシュトゥットガルトへ移籍し、1987年〜1988年シーズンには得点王を獲得しています。
1989年にはセリエA・インテル・ミラノへ移籍。
3シーズンの間インテルでプレーし、初年度は13ゴール、二年目は14ゴールを記録、UEFAカップの優勝にも貢献しましたが、1991〜92シーズンはミラノダービーではゴールを決めるも、リーグで7得点、チームは8位で終了。
その後、モナコでは1シーズン目にリーグ戦で20ゴールを記録し大活躍。
トッテナムではリーグ戦21ゴールを挙げ、リーグのライターが選ぶ最優秀選手にも選ばれましたが一年で母国へ帰りました。
1995年に母国バイエルン・ミュンヘンに移籍して2シーズンを過ごし、一年目はリーグ戦16ゴール、二年目は15ゴール。
またUEFAカップではリーグ優勝を獲得した。
1997年からはサンプドリアに移籍するも8試合2得点振るわず、シーズン途中トッテナムに復帰して15試合出場して9得点を記録し、1998年でプロとしては現役を引退。
2003年からはアメリカのアマチュアクラブのオレンジカントリー・ブルースターズでプレーし現役を引退しました。
ドイツ代表での実績
1984〜1985:U-21西ドイツ 8試合出場3得点
1987〜1988:U-23西ドイツ 14試合出場8得点
1987〜1990:西ドイツA代表 26試合出場7得点
1990〜1998:ドイツA代表 82試合出場40得点
クリンスマンはドイツ代表として、西ドイツ代表に招集され、1987年12月12日のブラジル戦でデビュー。
1988年ソウルオリンピックでは銅メダル獲得に貢献しました。
ストライカーとして1990年のワールドカップ・イタリア大会で優勝、UEFA欧州選手権1996では優勝を果たすなど、ドイツのタイトル獲得。
ワールドカップにはイタリア大会3得点、アメリカ大会で5得点、フランス大会3得点、とどの大会でもゴールを記録。
長年にわたり主将を務めました。
通算成績は108試合に出場し47得点。
2016年11月4日、ドイツ代表の名誉キャプテンに選出されています。
名誉キャプテンの選出は男性で5人目、男女合わせて7人目となりました。
クリンスマン氏のこれまでの監督歴
2008〜2009:バイエルン・ミュンヘン(ドイツ)
2011〜2016:アメリカ代表
ドイツ代表引退後はコーチライセンスを取得して、2004年にルディ・フェラー監督の辞任を受けてドイツ代表監督に就任。
監督就任後、若手選手を積極的に起用したものの、なかなか結果を出せず、親善試合でも苦戦が続きましたが、地元開催のFIFAワールドカップ・ドイツ大会で下馬評を覆す試合内容、成績を収めたことで評価は好転。
3位決定戦ではポルトガルを3-1で破って3位に輝きました。
大会終了後監督を辞任すると発表、退任後はドイツの有料テレビで解説者を務めていました。
2008年1月、2007-08シーズン終了後にオットマー・ヒッツフェルトの後任としてバイエルン・ミュンヘンの監督に就任することを発表。
チームの大胆な改革を進めましたが、2009年4月27日、リーグ戦の成績不振やチャンピオンズリーグの惨敗を理由にバイエルン・ミュンヘンの監督を解任されてしまいます。
2011年7月29日、アメリカ代表監督に就任。
ドイツ代表やバイエルンと同様、アメリカ代表でも大胆な改革を進め、ボブ・ブラッドリー政権で主将を務めたカルロス・ボカネグラや同政権のエースだったランドン・ドノバンといった重鎮に見切りをつけ、クリント・デンプシー、ジョジー・アルティドール、ティム・ハワードといった同政権の主力をベースにしつつも、ファビアン・ジョンソンやアロン・ヨーハンソンなど、欧州のクラブシーンで活躍する二重国籍者を勧誘して、次々とアメリカ代表デビューさせました。
ジャーメイン・ジョーンズやクリス・ウォンドロウスキなどクリンスマン就任前の二重国籍者も加え、陣容も戦術も大きく変化。
2013年のCONCACAFゴールドカップでは優勝に導き、2014年FIFAワールドカップの出場にも導きました。
2014年FIFAワールドカップでは、これまで3大会連続出場したランドン・ドノバンを最終メンバーから除外。
1次リーグで母国ドイツ代表と対戦し0-1で敗れたものの、グループ2位を確保し決勝トーナメント進出を果たしました(1回戦でベルギー代表に延長負け)。
2016年11月、2018年FIFAワールドカップ・北中米カリブ海5次予選のメキシコ代表戦、コスタリカ代表戦で連敗した事がきっかけとなり、2016年11月21日、アメリカ代表監督を解任されています。
クリンスマン氏以外の日本代表監督候補は?
現段階ではクリンスマン氏が日本代表監督に就任することが決定的と報道されていますが、実は東京オリンピック世代の監督をつとめる森保一氏の名前も上がっているようです。
現役時代はサンフレッチェ広島やベガルタ仙台で活躍し、監督としてはサンフレッチェ広島とU-23日本代表で指揮官を努めてきました。
サンフレッチェ広島では監督就任1年目でJ1年間優勝、次の年も優勝し、見事連覇を達成しています。
直近ではチームの成績が振るわず、2017年7月に監督を辞任。
2017年10月12日、2020年東京オリンピックを目指す五輪代表の監督に就任しました。
森保一氏は2020年を目指している若いチームの監督を努めていますから、実際はA代表就任はなさそうですよね。
やっぱり、クリンスマン氏が監督就任が濃厚というところですかね。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は西野監督の代わりとなるサッカー日本代表の新監督になるであろう、クリンスマン氏のプロフィールや過去の監督歴についてまとめてみました。
ドイツ代表やバイエルン・ミュンヘン、アメリカ代表それぞれで大改革を行ってきたクリンスマン監督が新星日本代表にどのようなメンバーを招集するのか非常に楽しみですね。
あなたはどの選手が選ばれてほしいですか?
楽しみに待ちましょう!
最後まで読んでいただきありがとうございました。